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【聖徳太子と竹の内街道】 593年、20歳になった聖徳太子は、 おばの推古天皇にたのまれて摂政(天皇に代わって政治を行う人)になりました。 当時、国内では豪族どうしがはげしく争っていました。 なかでも蘇我氏と物部氏は、仏教を朝廷に取り入れるかどうかで、するどく対立していました。 そしてついに蘇我氏は仏教を取り入れないとする物部氏をせめ滅ぼしました。 そのころ国外では中国の隋(ずい)が国をひとつにまとめていました。 聖徳太子は国外との関係を良くするために、小野妹子を隋に遣わし、国外との交流が始まりました。 国外への出入りとしては飛鳥宮から海に出るのにいちばん近いのは難波津でしたので、 飛鳥宮から難波津への大道路をつくりました。 その道路が竹の内街道です。 >>>戻る |