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【行基(ぎょうき)】

 行基は668年に堺市家原寺町で生まれました。

 小さい時から仏教を信じ、15歳で家を出ると薬師寺の僧になりました。

 そのころ多くの僧は苦しんでいる人々を救うことよりも国の政治をすることに関心をもっていました。

 しかし行基はこれには満足できず、

 多くの人々の苦しみを知り、人々を救うことが大切だと考え、仏教を説いてまわりました。

 行基は仏教を説くだけでなく池を掘ったり、溝を作ったり、橋をかけたり、道を開いたりしました。

 行基が堀った池は泉州で一番大きな久米田池や、河内で一番大きな狭山池など多数あります。

 聖武天皇の時代、悪い病気がはやったりして世の中がみだれかけていました。

 天皇は仏の力で世の中を救おうと考え東大寺に大仏を作ることにしました。

 そこで旅に出ていた行基を呼び戻し大仏を建てる相談をしました。

 行基はこれこそ自分の最後の仕事と考え村々をまわって寄付を集めました。

 そのとき行基は76歳でした。

 彼の努力は実を結び、7年の年月で立派な大仏ができました。


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