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 私が児童保育をする上で、とても役にたった本です。
 以下にキーワードを示します。
 きっと役立つと思いますので、購読されることをお勧めします。


    「乳幼児期から育む自尊感情 生きる力、乗こえる力」を読んで学んだこと
                近藤卓 著  エイデル研究所発行

 1980年代のアメリカでは、こどもをほめて認めて、成功体験を積ませることで自尊感情を高めようとする教育が行われました。しかしその結果は期待したものとは違い、自己中心的でわがままなこどもが増加しました。

カウンセリングにくるこどもたちは「ほめられたくてここに来たわけではないないのです」「何だかわからない不安やモヤモヤがあるんです」「自分はダメだ」と言います。学力も高く、将来の選択肢も豊富に選べる立場にもかかわらず、いくらそのようなことを伝えても彼らは救われません。何かができないからダメとか、何に失敗したから自身を失ったとか、そうした表面的なものではなく、もっと根源的なところで不安や寂しさ、葛藤を抱えています。

ほめたり評価したり、あるいは、声をかけたり役割を与えたりすることは間違ってはいません。しかし、それだけでは不十分です。ほめて認めて育まれる自尊感情は、実は人間が必要とする自尊感情のうちの一部にすぎません。もっと根本的な自尊感情があるはずです。今生きているということを無条件に認めるような感情、それが本当の自尊感情ではないでしょうか。

心理学者のウイリアム・ジェームズの「心理学原理」のなかで自尊感情の数式が記述されています。「自尊感情=成功/要求」、この公式が示すのは、自尊感情は「成功」という結果に依存している値だということになります。これも大切な感情のひとつで、向上心の基になるのはこの感情ですが、これがすべてではないと思います。

そもそも自尊感情は、自尊心、自信、自己肯定感、自己受容感、自己効力感、自己有用感、自己有能感など、様々な概念と近接する感情です。しばしばこれらは混同され、誤った解釈の下で乱用されています。

自尊感情には「社会的自尊感情」と「基本的自尊感情」があります。「社会的自尊感情」とは、他者からほめられたり、認められたり、成功体験を積んだりすることによって高まる感情で、他者との比較に基づく相対的な優劣による感情です。「できる」「役に立つ」「価値がある」「人より優れている」と思うことで「自信がある」という状態です。ほめられることで社会的自尊感情は高まりますが、叱られたりするとその感情はしぼんでいき、きわめて不安定な自尊感情です。親や教師は、勉強を頑張って、少しでも上位を目指すように叱咤激励し、勉強が順調に進めば成績が向上し社会的自尊感情は高くなります。しかしこの感情には際限がなく、終わりなく競い続け、勝ち続けなければならないレースは、こどもたちを疲れ果てさせます。中途のいずれかの段階で大多数のこどもたちは敗者となり社会的自尊感情がつぶれます。人が社会のなかで向上し、挑戦するには、社会的自尊感情は欠かせない大切な感情ですが、人が生きる上では、さらに大切な感情の領域があり、それが「基本的自尊感情」です。

「基本的自尊感情」は、成功や優越とは無関係に、自分の良いところも悪いところもあるがままに受け入れ、自分を大切な存在として尊重するものです。他者との比較に基づくものではなく、絶対的で無条件の感情であり、根源的で永続性があります。満足感、やすらぎ、安心といった種類の感情で「生きていていい」「このままでいい」「これ以上以下でもない」「自分は自分」と無理なく自然に思える感情のことです。ふくらんだりしぼんだり、つぶれてしまったりする社会的自尊感情を、下でしっかりと支えてくれるのが基本的自尊感情です。これは、人生の中で何度も経験するはずの挫折や困難を乗り切る原動力になるものといえます。

現代社会では、家族が崩壊の危機に瀕し、地域社会の関係も希薄となり、日常生活の中で基本的自尊感情を育む要素が極限まで減少しました。かつては誰もが当たり前に持っていたこの感情を持つことができず、ここに生きていること、存在していることに不安を感じ、自信が持てない状態に置かれています。肥大化する社会的自尊感情に対して、基本的自尊感情が乏しくなってきていることで、生きる力のバランスが壊れてしまっています。

自尊感情は、基本的自尊感情と社会的自尊感情のバランスがとれていることが大切です。基本的自尊感情は「強くする」ものであり、社会的自尊感情は「高める」ことです。基本的自尊感情は地道な作業によりじっくりと育まれ形成されます。社会的自尊感情は、挑戦と競争と努力によって高められます。

社会的自尊感情は、要求と成功の関係によって高められます。要求に応えることで達成感を得たり、その成功についてまわりから称賛されたり、さらに次の成功を求めて挑戦したり、それだけの能力に見合った役割を与えられたりして、ふくらんでいきます。では、基本的自尊感情はどのようにして育まれるのでしょうか。その鍵は「共有体験」です。共有体験とは、信頼できる他者と五感を通じた体験をともにし、その時その場でともに感じ合うこと。すなわち「体験の共有」と「感情の共有」のことです。  

幼いころに親と一緒に道端に咲くタンポポを見て「かわいいね」と微笑み合うこと、おもちゃで遊んで「楽しいね」と笑い合えることなど、体験と感情の共有を通して、こどもは「かわいい」「楽しい」と感じる自分が間違っていないことや、そう感じる自分を親に受け止めてもらえていることを実感します。基本的自尊感情を育むには、日常の中のなにげない共有体験を地道に重ねることが必要です。

「自分はこの世に出てきてよかった」「自分は愛されている」という安心が生まれ、それが基盤を形成します。この基盤を形成するには「基本的信頼の獲得」と「無条件の愛+無条件の禁止」の二つが、とても重要です。愛というのは愛しているかどうかが大切なのではない、ということを知る必要があります。愛されていると実感できるかどうかが問題なのです。愛と言うのは、こどもがそれを実感できなければ、親の独りよがりであり、一方的な押し付けにすぎません。では、どうすれば実感してもらえるのでしょう。それは無条件の愛に対する、無条件の禁止が欠けていることにあります。いくら愛が示されても、併せて「禁止」が示されなければ、こどもは「愛」を実感することはできません。愛の効果は禁止と釣り合うだけの分量に過ぎないのです。こどものいうことを全て受け入れて、何でも買い与え、何でも許すといった態度だけでは、こどもは愛を感じられません。むしろそれは、自分の存在を親に無視され、拒否されているとさえ感じてしまいます。無条件の愛が与えられている時は、無条件の禁止も必要です。「ダメなものはダメ」としっかりと伝えることです。それがなぜダメなのかを説明することも必要ですが、もっと必要なのは、「問答無用」の禁止というものがこの世に存在すると教えることです。例えば、なぜ人を殺してはいけないのか、その疑問に正面から取り組んでこどもに説明しようとする態度は、根本的に間違っています。なぜ人を殺してはいけないのか、それは「いかなる理由があってもいけない」という、絶対的な禁止以外あり得ません。無条件の愛と無条件の禁止という、人間関係の両極端のあり方を知っていれば、残りの人間関係はその中間的な領域に分散します。無条件の愛と無条件の禁止を知ったこどもは、人間として間違ったことはしないはずです。


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